自転車でのポタリング・写真散歩を中心に読書や部屋の片付けの様子などを書きます。
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住吉三神
職場でお客さんに話しかける時、天候の話題から入ることが多い。

最近は気温も上がってきて「今日も暑いですね・・・」などと一球目を投じる。

「そうですね・・・」 などと返球して頂く。しかし内心、今の時期はまだ暑いとは

思っていない。湿度も高くないし風も少しあるので過ごしやすい時期だと思っている。

自転車に乗るには最適な日々が続く。

なんとか時間を作って「乗らねば!」と意気込むのだが

若干空回りしている自分が居る。自転車以外の用事も少なからずあり、

今日もそれらを済ましてからのライドとなった。

愛車は本妻のDS。久しぶりにインド料理のTAJ海田店さんへと走る。

平日のランチ時なのだが店内は埋まっていて繁盛しているようだ。

いつもの「ポークカレー」を辛口でオーダーして、ライスと伴に昼飯とする。

食後、せっかく海田まで来たので、矢野にある神社へと立ち寄ってみることにした。

矢野で神社と言えば「尾崎神社」が有名なのだが、

今日は海に近い「住吉神社」へとペダルを漕ぐ。

住吉神社という名前の神社は全国各地にある。 

有名な所で言うと大阪市と堺市の中間あたりにある住吉大社かもしれない。

『古事記』『日本書紀』など日本最古の伝説と歴史が書かれている書物によりますと、イザナギノミコトが亡き愛妻イザナミノミコトを追いかけて、ついに黄泉国(死者の国)にまで行かれました。しかし、妻を連れ戻すことは出来ず、地上へと帰ることになりました。地上に戻ったものの、その身には黄泉国のケガレを受けてしまったので、海に入って禊 (みそぎ) を行ないました。禊とは身体を清める行為で、これを行なった時に、底筒男命・中筒男命・表筒男命の三柱、つまり住吉大神がお生まれになりました。よって「海の神」「おはらいの神」として特に崇敬されます。海は生命の源であり、禊や祓という行為も水でもって生命力を更新するものですから、住吉大神は「生命」そのものを守護育成される尊い神さまです。 

「住吉」は、スミヨシと読みますが、古くは「スミノエ」と読みます。スミノエの「エ」とは、今でも関西圏では、良い事を「ええ」(良い)というのと同じで、神さまが「住むのに良い」という意味です。神さまの御心にかなう土地ということで住吉といいます。また、住吉大神は祓の神さまでもあり、昔の住吉の海岸は水が美しかったということもあり、まさに「澄み良し」という意味もあるのです。

                                                                   住吉大社HPより引用。

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本当に海の間際にある神社で、拝殿・本殿ともとても小さな境内に収まっている。

夏のある時期に例大祭もあるようで、その時には夜店も出て地域住民のハレの時間となるようだ。

お賽銭を喜捨し、いつものように二拝二拍手一拝。

今日はロングライドにはせずそのまま帰路についた。ところで・・・DSのリアのディスクブレーキ、

以前にも「鳴き」が生じて、主治医のネコモトさんへ持ち込んだのだけど、その時は

保証の範囲でローターを交換してもらった。それで一度は「鳴き」も治まったかに

思えた。しかし、最近になってまた「鳴き」が・・・ もともとチェーンに注油などしない

無精者なのでローターやキャリパーに油が付着する原因を作ったとも思えない。

帰りにまたネコモトさんへ寄ってみた。 いくつか処置して頂いたのだが直らない。

そのまま預かってもらい徹底的に検査してもらうことになった。

少しくらいの「鳴き」なら目を瞑るのだが、そのレベルを越えている。



自転車店の帰りはレーパン姿で少しの恥ずかしさも感じず(羞恥心が薄い・・・)

JRで帰宅した。。。



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青春時代
今月2冊目の本を読み終えました。

「グラウンドの空」 あさのあつこ・著 角川文庫

あさのあつこさんの作品を読んだのは初めてです。

私は小さい頃、家の近くの壁にボールを投げて受ける、

壁あてをして野球を覚えました。その頃にプロ野球で活躍していた

投手は、江川だったり西本だったり、江夏だったり、

北別府だったり、大野だったり・・・

好きな投手の投げ方を真似して壁あてしてたことを思い出します。

小学校の高学年になってクラブ活動に入ろうかという時、

野球部という選択もあったのですが、頭を坊主にするのが嫌だったので、

野球とは全然関係ないブラスバンド部に入りました。

そこからは音楽畑三昧で大学まで行き、野球からは遠ざかっていました。

それが社会人になって、とある職場で草野球に誘われて、

昨年まで年に数回ほど野球をやってました。

独りで野球をやっていた小さい頃の遊びとは違い、

大人のキャッチボールは充分に興奮出来るものでした。

いい球投げる人がいるんだ!! 

その人が投げる球がビシッと自分のグローブに収まっただけで

嬉しくなりました。

そんな時、やっぱり自分は野球が好きなんだなと思ったのであります。

あさのあつこさんは「バッテリー」という作品を始め

多くの野球青春小説を書いておられます。

今回読んだ、「グラウンドの空」もそんな青春小説でした。

久しぶりに一気に読み終えました。

野球には色々なポジションがありますが、

ピッチャーだけは持って生まれた才能がいるのだなと

思いました。本に登場する人物も性格づけがしっかりしていて、

すぐにでもドラマになりそうな作品でした。

嫉妬やねたみによるイジメを受けて野球を出来なくなったピッチャーが

新しい仲間と出会い、新たな舞台で輝き、友情という大きな力を持って

成長していくというお話。。。

最近、歴史ものの本が多かったので久しぶりに面白かった~~~∠( ^ o ^ ┐)┐ ヨォ…

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船津八幡神社
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今日訪れた神社は呉市 広 両谷(くれし ひろ りょうたに)三丁目にある

船津八幡神社です。 船津という名称からその昔、神社のすぐそばまで海だったと想像出来ます。

拝殿までは車でも上がれる道路が一本と、参道正面から斜度のきつい階段を登る道が一本あります。

今日は拝殿前の扉も開いており、お参りさせていただくと女性の神職の方が御幣でお祓いしてくださいました。

いつも神社に行くと人影がなく、一人でひっそりとお参りするので、今日は珍しいケースですね。

由緒:享保の大飢饉の時村民大いに困窮の上悪疫流行し、享保20年(皇紀2395年)船津八幡神社を建立、京の三坂地門松山の古祠の祀ってあった神をここに迎えて併せ祀り広東部落の守護神とす。
御祭神: 誉田別尊(ほむだわけのみこと、応神天皇)、 足仲彦命(たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇) 、 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)、 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、 伊弉冉尊(いざなみのみこと)、 瓊々杵尊(ににぎのみこと)、 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、 田心姫尊(たぎりひめのみこと)、 多紀津姫命(たきつひめのみこと)

建立されたのが享保20年ということは将軍は徳川吉宗の頃で比較的新しい神社なのです。

享保17年に西日本一帯で大飢饉があったそうで、その災難を逃れる為に建立されたわけか・・・


Dst・・・80.83  Av・・・17.3   TREK  FX3 (!?)





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パックス・トクガワーナ
人は誰でも善の心と悪の心が共存しているのだろう。私も臆病で弱気な心とともに冷徹で他人事に無関心であると思っている。戦争はそんな悪の心や無関心によって芽生えるのかもしれない。今から72年前、日本は敗戦した。戦時中、国民はズブリと戦争に翻弄されていた。日本のほぼ全国で戦時中だった。敗戦の時、国民は何を思ったのだろうか?負けた屈辱もあっただろうが、これで戦争が終わるという安堵感もあったのではないかと思う。しばらくして日本国憲法は施行された。戦勝国アメリカの意思も働いたであろうが、日本国民の厭戦感もそこにはおおいに影響したと思う。2017年5月、安倍晋三内閣総理大臣は憲法の改正を2020年に施行したいと表明した。72年という年月は戦争の悲惨さを薄めるだけの経過だったのか? 歴史は少しずつ方向を変えていく。。。
その72年よりもさらに長い期間太平の世を継続した時代がある。それが江戸時代だ。江戸幕府が開府した1603年はまだ世の中は戦国時代の名残をおおいに残していた。徳川家康の圧倒的な武威を持っての日本国平定であったのだ。武威を持っての支配は大名だけへの影響ではなく庶民に対してもそうであった。言葉を変えると暴力による支配だった。そういった血なまぐさい戦国の風潮から脱し、民を慈しみ、人命を尊重する国家へと転換していったのは時代、時代のターニングポイントであった。ターニングポイントは多くの人民が亡くなった島原の乱であり、また宝永の大地震・津波、富士山の噴火などの自然災害からの飢饉であった。そういった天災や内乱を経験した為政者は今までの暴力による支配では立ち行かなくなり、民を大切にする政治へと転換していったのだった。綱吉が発布した生類憐みの令は悪法の象徴のように扱われているが、決して犬の命だけを尊重しようというおかしな法令ではないようだ。生きとし生けるものすべてに慈愛の心をもって尊重しようというもので、それはそれまでの命の軽さを引き戻すものだったようだ。東日本大震災が起こった時、私は職場のテレビで津波に流される街の様子をただただ茫然と見ていた。その時はとんでもないことが起きたと目を覆いたくもなったが、今となっては関心も薄れてきている。大震災の際原子力発電所がメルトダウンを起こし、もはや人が住める状態ではなくなった場所があるのは周知のことだ。それでも、それでも為政者は原発を止めない。確かに電力需要を考えると現実的に全面廃炉というわけにいかないのだろうが・・・江戸時代の為政者たちの転換のように、百年先のことを思い考えて欲しいと願うばかりだ。

今月1冊目の本を読み終えた。

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「徳川がつくった先進国日本」 磯田道史・著  文春文庫

先月末に読み終えた、「無私の日本人」についても併せての感想としたい。

落とした財布が戻ってくる日本や自動販売機が盗まれない日本を構築したのは
江戸時代だったのかもしれない。著者の磯田氏の本を読み、そう考えるようになった。

また「無私の日本人」では
私財を投げ売って街の存亡を願った商人達がノンフィクションとして居たということを読むことが出来た。
決して歴史上の大人物ではないが、キラリと輝く無名の才を持った人物を取り上げていて、こうした日本人を例えるなら灯台の灯りとして現在の日本人の倫理観は生まれたのかもしれない・・・

とても興味深い2冊を読むことが出来た。。。

訂正します。存亡を願うという日本語はおかしかったです。存亡をかけてが正しい使い方でした。
失礼しました。。。○| ̄|_








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般舟寺
草の匂いがする。

私はこの時期のその匂いが好きだ。

黄金週間も昨日で終わり街の様子は平常モードに変わっている気もするが、

かすかに休日の余韻が残っている気もする。

平和公園のベンチに腰をかけ今日はどこに立ち寄ってみようかと

文庫地図に目を落としている。

コツ コツ  コツ とヒールの音が響く。

とびきりの美人OLかと思い、目線をあげて見ると

老女であった。少しがっかりした気持ちになった。

さて・・・

今日の目的地は決まった。

再びペダルを回し始め、本川沿いの遊歩道を北上していく。

広島市西区楠木町。

願海山 風航院(がんかいざんふうこういん) 般舟寺(はんじゅうじ)

浄土宗の願海山風航院般舟寺(はんじゅうじ)は、広島新四国八十八ヶ所霊場第十六番のお寺で、本尊は阿弥陀如来だ。天文年間(1532~1555)毛利家の家臣・石井蔵人の菩提寺として安芸国吉田に開基し竜伝上人が住持していた。文禄4年(1595)賀茂郡正力村成福寺より住誉上人を迎えて開基。慶長4年(1599)新天地(中区)にお堂が建立された。昭和20年(1945)8月6日の原子爆弾により焼失したが、本尊の阿弥陀如来は疎開により難を免れ、昭和44年(1969)7月現在地(西区楠木町)に移転し、本堂・庫裏を再建し現在に至っている。般舟寺の守護神であるお稲荷さんは、圓隆寺(とうかさん)の近くの新天地公園内で紅花稲荷大明神・商売繁盛の神として崇められている。

寺院の名前から、何か海や航海に関する由来があるのかと思ったのだが、
調べてみるとそういったことは触れられていなかった・・・


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Dst・・・21.75  Av・・・15.0   TREK8・5DS









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