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インド人にびっくり

 今月2冊目の本を読み終えました。「インドでわしも考えた」椎名誠・著 集英社文庫です。個人的によくインド料理の店に行くことと清潔な日本とはまったく違う世界観の言えばカオスそのもののインドへの好奇心。まったくの異国であり、文化的カルチャーショックを本からだけでも受けてしまいます。この本のジャンルは紀行文。紀行文と言えば堅いですね。実に軽い筆致でインドという国を書いています。空中に浮遊するヨガの奥義を求めて(このこと自体がばかばかしいですが)インド各地を訪れるシーナ氏。はたしてその奥義は見られたのか!? そこは読んでからのお楽しみ。。。またもう一つ心に残ったのが、聖なる河ガンジスでの沐浴について書いてある箇所です。インドでは水葬が行われていて、この聖なる河にもあちこちから死体が流れてくるらしい。さらに糞や尿も河に流すので、この河、衛生的ではないわけなのです。しかしそこは聖なる河ガンジス。多くのインド人が沐浴し、口に水を含み、身を清めるのです。私自身、極めて清潔だとは胸を張れませんが、この国で3日と生活出来るかと問われれば、「う~~~ん」と唸ってしまいそう。
 今の私に100倍くらいの勇気があれば、一度インドに行ってみたいけど・・・とりあえずはインド料理を食べながらヒンディーのBGMを聞いて、さらにYOUTUBEで関連動画を見ながら気分だけでもトリップしようかな。今月2冊目でした。
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しまなみ2020

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 こんな絶景を眺めながら頬張るおむすびが不味いはずがない。私が初めてここに来たのは2003年の10月初旬だった。まだ今ほど「しまなみ」がサイクリストで溢れていない頃。その時に乗っていたジャイアントATX830は今はもうない。そう考えると私の自転車歴も20年に近づいたのだ。
 今日は多々羅大橋の道の駅に車をデポし、そこから今治方面へとFX3を走らせた。平日ではあるが、すれ違うサイクリストも少なくない。特に高校生や学生を多く見た。またレンタサイクルを利用する家族連れもすれ違う。今や「しまなみ海道」はサイクリストの聖地として認知されている。普段は自転車を趣味にしていない人も多くここを走るようだ。服装もサイクルジャージではなくスポーツに適した普段着姿をした人がいる。コース的には橋への導入路での坂道と宮窪峠という勾配がキツイ箇所ではあるが、それ以外のほとんどは平坦コースで信号も少ないし至極走りやすい。
 話を最初に戻す。この写真に写っている大橋は来島海峡大橋と言い、橋を渡った先は愛媛県今治市となる。おむすびを食べ終わり、この大橋を渡ることにした。それはまさに空中サイクリングと形容でき、空の青さと海の青さにノックアウトだ。今治側の橋のたもとにはサンライズ糸山というサイクリングターミナルがある。「最初に来た時はここに一泊したサイクリングだったよな~」なんて感慨にふけった。 今日はそこでトイレを済ませ、ベンチで少し休憩して来た道を帰る。
 今日は勾配のある坂でもフロントのギアをセンターには落とさずアウターでこなしていたせいもあり、デポ地に近づくと足は売り切れ状態になってしまった・・・
 走り終えて車に自転車を積みながら、「しまなみは何度来ても楽しい!」(交通費とガス代はかかるけど・・・💦)

 

走行距離・・・61.20km   最大心拍数・・・159

春の入り口

 ここ数年、テレビドラマを一つ二つ録画して見ることにしている。昨晩も午後10時半を回った頃、その一つを観ることにした。「病室で念仏を唱えないでください」伊藤英明主演。最初見始めた時はチャラい医療系のドラマかと思ったが、見続けてみるとなかなかに骨のある作品だと認識を変えさせられた。救急の現場の医者であり、臨床宗教師でもある主人公の松本照円が、切迫した命を救うシーンは他の医療ドラマでもあるが、ゆっくりと死へと向かう患者に僧として寄り添う姿はとても新鮮だ。また一見反目しあっている心臓外科医のムロツヨシ演じる濱田達哉との友情も観ていて感動する場面である。今週の金曜日に最終話。とても楽しみ・・・

 午前9時の30分前にベットを出た。シャカシャカ、バシャバシャと歯磨きと洗面を済ませ、食卓につき、何もないので白米を茶碗に中盛りし、冷蔵庫にあった殻の赤い生卵を一つだして割り、醤油を三滴、TKGだ。
 そしてサイクルウェアーに着替えて、DSに空気を充填した。今日も天気の心配はすることはなく、目的地も決めずにまずは平和公園を目指す。小学校の前を通ると花で飾られた「卒業式」の立て看板が目に留まり、中の様子を窺うとスーツを身に纏った親御さん達が、そうそうもちろんマスク姿で・・・・一定の間隔をあけて体育館への入り口に並んでいた。「自分が卒業した頃のことが蘇ってくるようだな」でも私は親の立場で式に出ることは一生ないだろう・・・・と少しだけ寂寥感が胸の奥に落ちた。
 今日は暖かい。今まで着ていたウィンドブレーカーは今日は着ていない。グローブも指切りタイプだ。平和公園に着き元安川のほとりのベンチに腰をかけて、途中で買った100円の缶コーヒーのプルタブをつまびいた。左のベンチも右のベンチも腰をかける人がいる。普段はそんなに座る人もいないから、暖かい陽気とコロナウィルスの影響かななんて思う。ベンチの後ろを通り過ぎる人がたびたび桜の木へと目をやる。咲いている花はないかと待ち遠しい気持ちがこぼれるようだ。私も樹を仰ぐ。まだ蕾ではあるが開花へのエネルギーは確かに感じられる。
 「そうだ。しだれ桜で有名な普門寺へ行ってみよう」と進路を南へととった。途中、食品業者が不意に落としたミンチのような肉に鴉達が鋭い視線をやっていた。普門寺の門前で中を覗くとこちらの桜もあともう少しと言った感じだった。そこからはいつも通るBコースをなぞる。今日のランチは手作りサンドウィッチの店、神戸屋さん。狭い店内で美味しいサンドウィッチを頬張った。BGMはRCCラジオでアナウンサーの横山氏がわちゃわちゃとやっている。
 石内地区へと入るとお気に入りの田園風景に吸い込まれる。桜はまだだが、桃や菜の花はスタートダッシュを決めてた。ユーミンの「春よ来い」が頭の中をグルグルとしだした。カメラを取り出して一枚だけシャッターを切った。
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走行距離・・・42.13km   最大心拍数・・・131


おそらく原風景

 こんにちはです。現在連載中の小説は次の展開が思い浮かばず、今回は一時休憩とさせて頂きます。で・・・今まで連ねてきたものをまとめて記事にしようかと今日は思います。

 田上ノズルは50歳手前で背丈のある男である。ノズルの前半生は人と比べるならば少しばかり奇異といえるかもしれない。多くの若者がそうであるように「若気の至り」という時代があった。勉強はいくらかは出来たがお調子者でいて、人気者ではなかった。友達も多くは居らず、どちらかというとクラスの隅に居るような言えばマニアックな友人が数人いただけだ。それなりに勉強もしていたので高校受験はさほど苦労もせずに第一志望の学校へと入学することが出来た。ここまで書くと、高校でも部活動には所属せずに帰宅部で家に帰るとマンガとゲームに陶酔したと想像されるかもしれないが、意外にもあるきっかけでブラスバンド部に入部したのだ。つまり青春を謳歌していた。高校3年の春、好きだった同じ部活のトランぺッターに告白し見事にフラれ、そろそろ卒業してからの進路に悩み始めた頃、何を見誤ったのか、「音楽の専門の学校へ行くと!」と大きく宣言してしまった。当時の担任は「音楽では飯は食えないからヤメておけ・・・」とやんわりと進路変更を勧めたのだが・・・

 よく晴れた4月のある日、入学式を終えたノズルはカリオンの前で同級生達と一緒にスタートしたばかりの学生生活を待っていた。色々な楽器の研究室の上級生がプラカードを持って新入生をつれて部室というか研究室へと先導している。すると向こうから決して笑ってはいない、むしろ怖い顔をして2年生の玉井と柳元がノズル達に近づく。「全員揃ったか。これから研究室へと案内する。ついてくるように・・・」トロンボーン研究室は3号館という建物の地下一階にある。地下一階には他にも木管楽器や金管楽器の研究室が並んでいた。鉄製の扉を開けて中に入るとカーテンを閉め切ってタバコの煙が充満している決して明るい雰囲気の場所ではない所にソファーとテーブルがあり、一番奥のソファーには恐らく4年生であろう方々が怖い顔と雰囲気でどっかりと座っていた。「じゃー一人ずつ自己紹介をしてもらう」「まず2年生が手本を見せるからな」 「長野県出身~! 諏訪南高等学校卒業! 玉井光太郎!よろしくお願いしま~す!」 と体が反り返るほどの大声で手本を見せてくれた。「よし!右の背の高いお前から!」 ノズルの緊張はMAXに達していたがもうやらないという選択肢はない。「山口県出身・・・植野高等学校・・・」「声が小せえ!もう一度初めから!」両側に座っていた3年生から喝が入る。今出る最大級の声で「山口県出身! 植野高等学校卒業!田上ノズルです。よろしくお願いしま~す!」「よし!次!」
 一年生5人の自己紹介が終わったところで、突然奥のカーテンが開き、両側に座っていた上級生が一斉に立ち上がり、持っていたクラッカーを鳴らした。ノズル達は一瞬何が起きたのかわからなかったが、今まで隠していた最大級の笑顔で「入学、おめでとう~!!!」と場の雰囲気は一変したのだ。どうやら最初の怖い雰囲気はわざとでサプライズだったのだ。これからの学生生活が明るく照らされていくようだった・・・・

 「ノズル~次、Bオケだよ。一度合わせておこうよ」 1年生の紅一点、立野 桐が声をかけた。入学から半年が経ち、背丈の高さからという安易な理由でノズルはバストロンボーンを吹いていた。3・4年生のオーケストラの授業がAオケと呼ばれ、1・2年生のそれはBオケとなる。この時期の課題曲はブラームスの交響曲1番だ。この交響曲、4楽章にトロンボーンのコラールがある。この楽器の特徴に二つのものがあって、一つは純正律が奏でられるということ。三和音、例えばドミソと鳴らす時にピアノを使って鳴らすと平均律になる。ドミソのミの音を若干低く音程をとると和音の響きが格段によくなる。楽器の構造がスライドで音程をとるトロンボーンはそういった微調整が出来てしまうのだ。さらに音域が人の声に最も近いので、その二つの特徴から合唱のバックで和音を鳴らすことが得意なのだ。
 「キリちゃん、ちょっと待って・・・ウォーミングアップがもう少しなんだ。」「わかったよ。先にスタジオ行っとくね」 このキリちゃんと呼ばれる立野は群馬県出身で良くも悪くもズバズバと物を言う、サバサバとした性格だ。そろそろ同級生の性格もわかってきて、一緒に行動することも多い。スケールをロングトーンした後、リップスラーで唇をほぐす。日によって調子の良し悪しはあるけれどこのルーティーンは高校時代から変えていない。「そろそろ、行くか」
 3号館の地下一階にある研究室から上階にあるオーケストラスタジオに向かう。廊下では様々な楽器の専攻生が各々に音出しをしていた。スタジオの大きな扉を開くと弦楽器の方々が無秩序に音出しをしている。トロンボーンが坐するのは雛壇の上の方の指揮者に向かって左側だ。しばらくすると今日指揮を振る教授が入ってこられ指揮台にたった。それと同時くらいにあちこちで鳴っていた音や止み、オーボエがAの音を伸ばす。それを頼りにチューニングが始まる。適当な時にそれは終わり、指揮者が指揮棒で譜面台を三度、コンコンコンと鳴らし、「じゃー頭から行ってみよう!」と交響曲は流れ始める

 多摩音楽大学は都心から私鉄で1時間半ほどの広々とした平野にある。もはやここは大東京ではないのではないだろうかというほどのんびりとした雰囲気の中だ。ノズルの住んでいるアパートはその大学から徒歩で5分ほどの家賃4万2千円の1Kで実家からの仕送りとチャンポン店での短時間のアルバイトで生活していた。学校から近いので学生のたまり場になりそうなものだけれど、ノズルの社交性のなさから立ち寄る人もそれほど多くはなかった。そのノズルの住処が俄かに騒々しくなったのはイチョウの葉も色づく学園祭、音楽大学では芸術祭が開催される秋の事だった。4年生に在校していた広島出身の米満さんの影響で祭りに出店する飲食屋台でお好み焼きとイモフライを提供することになったのだ。入学時にはサプライズ的に怖かったのかと思っていた先輩の存在は厳しい上下関係のもとにあって、その鶴の一声で学校に近いノズルのアパートで試食会が行われることになった。
 授業と練習が終わった夜の初めの頃、研究室の面々がノズルのアパートに集まってきた。1Kの部屋に16人ほどが入ったものだから、ただでさえ狭い部屋はむせかえっている。もちろん会の初めは乾杯からスタートして、そのうち1年生がお好み焼きの具材のキャベツを切りそろえた。そして小さなホットプレートで米満さんの指導のもと一人一人焼きの練習をする。「お好み焼きってのはな、貧乏人の食い物だから、そんなに肉を入れたらダメなんじゃ。客に気がつかれない程度に絞らんといけん・・・」と米満が説教をした。「ハイっ!わかりました。」なんて言っていたが、(なんだかケチ臭いな)なんてノズルは思った。この米満さん、ジャズ畑を歩く人で、なかなかに破天荒な性格で、面白い逸話が一つ二つあった。そのうち一つが「平和記念式典タリラリラ事件」だ。広島で毎年8月6日の原爆の日に開催される記念式典で演奏の為に集められた市内近郊の吹奏楽部の一人だった米満は、本来静かな雰囲気の時間にウォーミングアップのリップトリルを響かせてしまったという、なんとも破天荒な高校生だ。
 そうして一つ二つとお好み焼きを焼いていると、「ノズル!イモ洗うとこがないからココで洗うぞ!」と2年生の玉井さんが言っている。(ココって?風呂の浴槽だぞ・・・)と内心ノズルは思ったが逆らえるものでもなく、「ハイっ・・・」と口ごもった。そんな騒々しくも夜が更けていき、酒も入っているものだから、かなりの大声で皆しゃべ散らかしていた。すると近所の家から「てめぇーら何時だと思ってんだ!!!」と怒号が暗がりのサッシから突き刺してきて、皆一応に反省し、ボリュームを落としたのだった。
 その試食会が功を奏したかどうかはわからないが、芸術祭のトロンボーン研究室の屋台はかなりの勢いで繁盛したのだった。

 夏。全国の中学、高校の吹奏楽部はコンクールに向けて青春の炎をメラメラと燃やしている。県大会で金賞ととり、さらに代表権をとると支部大会へと進むことが出来、その支部大会で代表権をとると、吹奏楽の甲子園と言われている東京の普門館での演奏を許されるのだ。
 ノズル達、音大生のアルバイトと言えば、音楽にはまったく関係のない仕事もあるけれど、中学や高校の吹奏楽部のトレーナーとして呼ばれることも少なくない。2年生になったノズルも地元の高校へと招聘された。
 「じぁーBの4小節前からこのテンポでやってみよう~」メトロノームを適当に合わせて鳴らし、学生達の音に耳を澄ます。(うーん、セカンドの彼女、タンギングが不明瞭だな。)コンコンと机を鳴らし、音を止めて、「もう少しだけハッキリとタンギングしてみようか。」「それとアインザッツを揃えてね」「じぁーもう一度」 「はいっ!」と学生達が元気よく返事をする。学生達はこの先生がどんな風にどんな音色を出すかとても興味があるので、基本的には自分も音出しをして指導する。注目されてもいるし少し緊張する瞬間でもあった。
 「田上くん、どう?まとまってきた?」顧問の松木先生が尋ねる。「そうですね。全体的にミスも少なくなってきたし、音もよく出てます。あとは一部不明瞭なアタックとコラールの音程ですね。」「そうか・・・よろしく頼むね」「あっ・・あと30分後に合奏するから」「わかりました」
 高校にトレーナーとして呼ばれた音大生の中にはノズルと違う学校から来ている人もいる。クラリネットの講師の小野田喜美はノズルとは出身高校が違うし、通っている音大も違う。指導の合間にノズルが自分の練習を屋外でしていたら、彼女が話しかけてきた。「田上さん、それ誰の作曲?」いきなり話しかけられて少し戸惑ったノズルは演奏を止め、「ザクセという人のコンチェルティーノだよ」 「いきなり話しかけてごめんなさいね。私、クラリネットの講師で来ている、小野田です。高校は田上さんの出身の近くなんだよね」「あっ・・・観音寺高校かな」「そう!あたり。田上さんは植野高校だよね!」小野田がこれ以上ないほどの笑顔で答えた。これが後にノズルの初めての彼女となる人との出会いの瞬間だったのだ・・・つづく。


 今日は午後から所用があったので軽めにポタリングすることにした。 西へ向かう。 まずは美味しい珈琲を飲もうと広島市佐伯区楽々園にある「珈琲屋」さんへ。以前も記事に載せたが、ここの珈琲は絶品だと思う。マスターは若く、歳で言えば私と同い年くらいかもう少し若いかという感じ。店員の女性もご年配の方だが、とても上品。私はサイクルジャージという出で立ちのせいもあり、ほんの少しだけ羞恥が走る。「いやそれにしても美味しい・・・」
 珈琲を飲んだ後、自転車を西へと走らせると、やがて世界遺産・厳島の玄関口、宮島口に近づく。最近、島へと渡るフェリーターミナルが新しくなり、その名を(エット)という。エットとは広島の方言で(たくさん)という意味になる。「えっと食べんさいね~」と言った具合だ。しかしココもコロナの影響で閑古鳥が鳴いている。私自身もそのエットに立ち寄って中に入ることに躊躇した。もう少しコロナが落ち着いたら撮影も兼ねて再訪しようと思う。
 さて、さらに西へと向かう。やがて広島カープの室内練習場を少し過ぎたあたりから左手に海が見える。水面にはカモメの一種が浮遊していた。後調べによるとどうやらセグロカモメではないかと・・・やはり双眼鏡が欲しくなった。そんなのんびりとした海とは対象的に道路は厳しい。すれすれを大型車が抜かしていく。
 広島県廿日市市梅原にある梅原漁港から眺める、蛭ヶ崎鼻。 ここが今日の一枚だ。 以前初めてここに来た時は(めいがさきばな)と誤読していた。正しくは(ひるがさきばな)らしい。ずいぶん昔から風景が変わっていないのだろうと思うほどの雰囲気がある。この小さな岬の近くには大型遊具を揃えた(小田島公園)がある。現在は呼び名が変わって、やまだ屋もみじファミリーパークとなっている。

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走行距離・・・38.68km   最大心拍数・・・129



ハクセキレイの足音

 夏。全国の中学、高校の吹奏楽部はコンクールに向けて青春の炎をメラメラと燃やしている。県大会で金賞ととり、さらに代表権をとると支部大会へと進むことが出来、その支部大会で代表権をとると、吹奏楽の甲子園と言われている東京の普門館での演奏を許されるのだ。
 ノズル達、音大生のアルバイトと言えば、音楽にはまったく関係のない仕事もあるけれど、中学や高校の吹奏楽部のトレーナーとして呼ばれることも少なくない。2年生になったノズルも地元の高校へと招聘された。
 「じぁーBの4小節前からこのテンポでやってみよう~」メトロノームを適当に合わせて鳴らし、学生達の音に耳を澄ます。(うーん、セカンドの彼女、タンギングが不明瞭だな。)コンコンと机を鳴らし、音を止めて、「もう少しだけハッキリとタンギングしてみようか。」「それとアインザッツを揃えてね」「じぁーもう一度」 「はいっ!」と学生達が元気よく返事をする。学生達はこの先生がどんな風にどんな音色を出すかとても興味があるので、基本的には自分も音出しをして指導する。注目されてもいるし少し緊張する瞬間でもあった。
 「田上くん、どう?まとまってきた?」顧問の松木先生が尋ねる。「そうですね。全体的にミスも少なくなってきたし、音もよく出てます。あとは一部不明瞭なアタックとコラールの音程ですね。」「そうか・・・よろしく頼むね」「あっ・・あと30分後に合奏するから」「わかりました」
 高校にトレーナーとして呼ばれた音大生の中にはノズルと違う学校から来ている人もいる。クラリネットの講師の小野田喜美はノズルとは出身高校が違うし、通っている音大も違う。指導の合間にノズルが自分の練習を屋外でしていたら、彼女が話しかけてきた。「田上さん、それ誰の作曲?」いきなり話しかけられて少し戸惑ったノズルは演奏を止め、「ザクセという人のコンチェルティーノだよ」 「いきなり話しかけてごめんなさいね。私、クラリネットの講師で来ている、小野田です。高校は田上さんの出身の近くなんだよね」「あっ・・・観音寺高校かな」「そう!あたり。田上さんは植野高校だよね!」小野田がこれ以上ないほどの笑顔で答えた。これが後にノズルの初めての彼女となる人との出会いの瞬間だったのだ・・・つづく。

 
 これほど人の少ない平和公園は初めてかもしれない。いつも立ち寄るタリーズへはなんとなく寄る気にならず、川沿いのベンチに腰をかけ、途中で買ったやや甘い缶コーヒーを開けた。川面に目をやると水鳥が潜ったり顔を出したり気持ちよさそうだ。ベンチの上に覆っている桜の木はまだまだ蕾にもなっておらず、今年の出番を待っている。今年はお花見の人手ももしかしたら少ないのかもしれない。ここ広島でも先日、コロナウィルスの感染者が出た。マスク、手洗い、うがいは丁寧にやらねばと思う。
 朝、早めに家を出たのでこのままタージ海田店さんへ行くと早く着き過ぎてしまう。「ちょっと遠回りで港湾地区へ寄ってみよう」しばらくして広島港へと辿り着き、またベンチに腰を掛けて黄昏る。正面には似島(にのしま)という小さな島を見、3つほど右手のベンチでは老女が鳩やすずめにパンくずのようなものを与えている。ふとベンチの後ろを見ると、ハクセキレイがなんの警戒感もなくペタペタと過ぎていく。「まったく・・・かわいいんだから君は」 前々回の記事で野鳥観察をしてみて、双眼鏡が欲しくなっている。高価なものでなくてもいいからコンパクトなものを一つ買おうと思う。
 タージ海田店までの道のりは少しだけ勾配のある坂を登った。心拍を見ると118をさしていた。ものの本で読んだが、体の調子がいい時はスムーズに心拍はあがるらしい。最近、スピンバイクも乗っていないし、心拍の上がり方も鈍い感じだ。さて、本日のカレーはポークで辛口、ライスで頂く。BGMのヒンドゥー語に合わせて厨房から歌声が小さく聞こえる。
 ここからはいつもの定番コースをなぞった。 手作りソーセージの「グリュックス シュバイン」さんで生ソーセージを贖い、今日の目的地へと向かう。
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(八幡神社)やはたじんじゃ。御祭神 宇迦之御魂神・伊邪那美神・須佐之男命・大穴牟遅神・大歳神・火明神・奥津彦の神・五男神・三女神・帯中津彦神・品陀和気神・大雀神
御由緒
当神社は、広島市佐伯区八幡、利松、八幡東、八幡が丘、薬師が丘、城山(折出)、美鈴が丘の氏神社である。
即ち旧八幡村であって、利松、寺田、保井田、高井、口和田、中地(寺地、中須賀)の各地区の氏神社は、明治四十一年一村一社という国の勧奨に従い、合併合祀が勧められた。
保井田村社大歳神社、境内社竈神社、寺田村社宝神社、利松村社新宮神社、無格社古保利神社、口和田村社大歳神社、高井村社稲荷神社、寺地村社稲荷神社の合併が行われて、神社名を「村社大正神社」とした。昭和三年に中須賀村社八幡神社を合併して「村社八幡神社」と改称した。
合併した各社とも縁起等不詳であるが、保延時代(1135)の鎮座、或は応永三二年(1444)勧請と伝える社、正徳元年(1711)再建の棟札のある社、又中須賀村社八幡神社は古老伝として、神宮皇后西征より御帰還のみぎり御船着きし給う由縁により鎮座と伝えている。 御由緒書きより・・・

走行距離・・・65.24km   最大心拍数・・・138