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モーニングライド

朝は皆慌ただしい。

いつもより早くFX3(新しい自転車については後日の記事で)でポタリングに出掛けた。

通学の学生、通勤の方、凄い勢いで学校や会社へと自転車を走らせている。

私は時間に余裕を持って行動する男なので、ギリギリで行動することはない。

しかし人によってはそうではない人もいるだろうから、そこを否定することはしない。

通学の学生の中には信号待ちの間、スマートフォンをいじっている人もいる。

ほんの少しのその時間を情報収集にあてなければならないのだろうか?

まぁーそれも人それぞれだから否定はしないが、事故らないように願いたい。

さて・・・

そんな慌ただしい朝、一人だけテンポの違うリズムでむかったのは、

広島駅北口近くにある・・・「鶴羽根神社」 だ。

神社の正面にある御由緒書を読み、自分なりにまとめてみた。

以前、私のブログで紹介した、東広島市西条にある「吾妻子の滝」の巻で

登場した人物がこの神社の創建に関わっていたのだ。

鎌倉時代、源頼政が政変の乱に敗れた際、その側室であった菖蒲の前が落ち延びたのが

現在の東広島市西条あたりだった。その地で生涯を閉じた御前の御遺言で、

家臣であった池田氏がこの広島駅北口二葉の山の麓に社殿を建立したようである。

それが1204年から1206年あたりであった。現在は二葉山と呼ばれている山は

その当時、椎木山と呼ばれていて、その名にちなんで社殿は椎木八幡宮となっていた。

八幡宮だから、御祭神は? ほんだわけのみこと(応神天皇)
            たらしなかつひこのみこと(仲哀天皇)
            おきながたらひめのみこと(神功皇后) 

その池田氏が神職となり管理していたのだが、

1321~1324の頃に火事にあったものの

再建された。しかしその後兵乱にまみえ神社は衰えた。

ついには奉仕のものも居なくなり、

近接にあった明星院の守護を蒙り鎮守となった。それからも火事や戦乱で類焼したものの

広島藩藩主浅野家の庇護を受け勢いを盛り返し、

近接に饒津神社(にぎつじんじゃ)が建立された際、

現在の地に所替された。

浅野12代藩主であった長勲(ながこと)の命名により「鶴羽根八幡宮」となり、

明治5年(1872年)に「鶴羽根神社」と改められた。

その名の由来は、社殿裏の二葉山(椎木山)のたたずまいが、

あたかも羽根を広げた鶴の姿に似ていることで名付けられたといわれている。

また神前結婚挙式の為にイザナギ・イザナミの神様も勧請された。

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一の鳥居をくぐると特徴のある石製の太鼓橋がある。その橋を渡ると拝殿へと続く参道となる。

お手水で清めたあと、人影のない拝殿の前でヘルメットを取り、二拝二拍手一拝。

Dst・・・19.02  Av・・・14.6   TREK・FX3


  



満景寺

今日はeシフト。

天気もぴーかんではないが晴れていたので、

最近、各パーツのヘタリを感じる、スペシャライズド・シラスで

ポタリング開始!

街中を流しているとイタルトコロにツツジの花が咲き始めている。

ツツジを見ると、音戸の瀬戸の満開のツツジを思い出すな~

今年も行ってみようかな~。。。

さて・・・

今日は牛田旭にある寺院を訪れた。

「暁照山  満景寺」  浄土真宗大谷派

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この寺院の開基は出雲の国の僧が一本木(現在の白島九番町あたり)に来て、
初めは西向寺の持僧になったのだが、後に新たに一寺建立したと伝わっている。
その僧の名前はわかっていない。その一本木にあった寺は享保十四(1729年)三月一日の
夜に出火した。焼失跡は火除けの為、畑となり替地を大須賀村(現在の広島駅南口北西あたり)
に賜り移された。その頃寺院は転派して浄土真宗東派となっている。
その満景寺は現在は牛田旭に移り、昭和60年に鉄筋コンクリート造りの寺となっている。
※享保十四年は江戸時代八代将軍吉宗の世で十七年には大きな飢饉が起きている。

牛田の小高い緑地にあり、景色が満との名にふさわしく、境内からは広島市内を眺めることが
出来る。 墓参り以外立ち入り禁止との札があったので、山門からお参りさせて頂いた。

Dst・・・20.79  Av・・・14.3  スペシャライズド・シラス

傳福寺

桜の季節はこんなにも雨が多かったのだろうか?

遠慮がちではあるが久しぶりに日差しが戻った広島。

弱きなお天道様を両手でぐっと引っ張って胸に収め

私はポタリングに出発した。

広島市西区福島病院横の桜の木は今年も見事に咲いている。

昨年もこの木をバックに一枚撮影したことは記憶にある。

こうして同じ場所で同じように花を眺めていると、

季節に句読点を打っているかのように思う。

さて・・・

いつものコースでホームグランドの平和公園に着いた。

前回シラスで来た時は7~8分咲きだったが、今日は

もう満開を過ぎ、花を散らし緑も多くなっていた。

次の季節へのバトンを渡すように淡いピンクの栞は

地面を染める。

腰掛けたベンチで通りゆく人々を眺めていると

ここは国際色豊かだなといつも感じる。

インド系だろうか? 小学校6年生くらいの女の子とさらに小さな男の子が

両親の掛け声で、とても! とてもキュートな笑顔をカメラに向けている。

微笑ましいにもほどがあるぞ! と日本語の使い方を誤ってしまう。

午前10時を過ぎた時、私はまだ今日の目的地を決めかねていた。

文庫地図を取り出して、なにげなくペラペラとやる。

市内中心部に「傳福寺」というお寺が目に留まった。

夕方の仕事まで時間もあるので今日はそこへ行ってみることにしたのだった。




昼飯はいつも行く安芸郡海田にあるインド料理のお店、「TAJ」 さん。

店内に入ると初めて見る店員さんが・・・

私が座りたかった席とは違う場所に通された。

ちょっとしたことでムッとしてしまうのだから、客というのは

わがままと言えばわがままだなと振り返る。

私自身、接客業なので逆の事をやっていることがあるということか・・・

まぁーとにもかくも、ここの「ポークカレー」は秀逸だ。




食後、街中を流して目的のお寺の前に着いた。

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傳福寺(でんぷくじ)は材木町(現在、平和記念公園内にある広島国際会議場周辺)に所在していたが
原爆投下により壊滅。昭和26年に都市計画で現在地に移転した。
開創年月は不詳だが、広島市重要有形文化財に指定されている本尊仏は慶長19年の造像で、
その頃の開創と思われる。
開山は十岫宗智大和尚、開基は育翁養公座元だそうだ。

街中のお寺らしくコンクリート造りの本堂。そしてその前には

あまり見ない「仏舎利塔」がスックと建っていた。

仏舎利塔とは? 釈迦の遺骨を納めた塔のことだ。

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この仏舎利塔は、2004年2月29日に世界平和を祈念して被爆地広島に

バンコク様式で建立されたもので、タイ王国最高位の高僧が自ら本場の

仏舎利塔から御分骨されてここに納められている。

「ナモータッサー  バカワットー  アラハトー  サンマー  サンブッタッサー!!」

と三回唱えて拝むそうだ。

今日はそうは唱えず、静かにお参りさせていただいた。



曹洞宗のお寺なので、本堂では座禅会とかあるのかもしれない。




20170412kkd1.jpg


Dst・・・31.18  Av・・・15.2  TREK8・5DS


























花は咲く

eシフトだったので、愛車で目的もなくポタリングしてきました。

スナップを何枚かUPします・・・

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3・11。 この日に心を寄せることしか出来ない自分を許して下さい・・・





真宗木辺派

確かこの辺りなのだが・・・

同じ通りを行ったり来たりして探しているのは、

広島市南区宇品神田にある「歓喜寺」

今日はeシフトで雨も降っていなかったので、

シラスで軽くポタリングをしている。

んん? ここか? 塀の向こうに墓石が見えた。

寺院というイメージだけで言えば、

大きな瓦屋根があって、鐘楼があり、山門があり、

すべての者に開かれてるという固定観念がある。

が・・・

街中にある寺院にはビルとして存在して

墓を守っているものもあるのだ。

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二階に見える装飾や半鐘がココが寺院であることを教えてくれる。

真宗・木辺派 歓喜寺(かんきじ)

歓喜寺の文字を仕事の昼時に文庫地図で見つけ、

歓喜という名前は最近マイブームの天部の仏、

歓喜天に由来するのではないだろうか?とピンとなり

行ってみることにしたのである。

写っているようにサッシ扉に囲まれてて、

少し開けてみたが、なんとも民家へ不法侵入しているかの

ごとく思われて、躊躇い中へと入ることは止した。

墓守をしている女性が箒を手に掃除をしていた。

いくつか質問したいこともあったが、やはり怪訝に思われそうだったので

これまた止した。

家に帰って検索してみるもこの寺はHPもなく、ウィキにもなかったので、

まったく御由緒もわからず創建がいつであるかもわからずであった。

ただ・・・

真宗・木辺派とは?


真宗木辺派(しんしゅうきべは)は、滋賀県野洲市の錦織寺(きんしょくじ)を本山とする浄土真宗の一派。親鸞の門弟性信が率いる下総国横曽根(現在の茨城県常総市豊岡町)の報恩寺を中心とする横曽根門徒の流れを汲む。末寺数、約200寺。

とウィキにあったので引用しておくことにした。

日本佛教の展開は、明治政府が伝統佛教として十三の宗旨を承認している。
十三宗とは、法相宗 華厳宗 律宗 天台宗 真言宗 融通念佛宗 浄土宗 臨済宗 浄土真宗 曹洞宗 日蓮宗 時宗 黄檗宗
大雑把に大体に一般知識として分けたら、佛教と呼ばれるものには日本だけでも上記ほどの数に展開されているらしい。

そのうちの浄土真宗の中にも十派あるようで、

京都にご本山がある本願寺派(本願寺)・大谷派(真宗本廟)・佛光寺派(佛光寺)・興正派(興正寺)、三重県にご本山のある高田派(専修寺)、福井県の出雲路派(毫摂寺)・誠照寺派(誠照寺)・三門徒派(専照寺)・山元派(證誠寺)そして、歓喜寺が所属する滋賀県にある木辺派(錦織寺)の十の派のことだ。

これらすべて佛教であり、

佛教という宗教の懐の深さを感じることが出来る。

お釈迦さまの人(機)に応じて説かれたご説法は、対機説法とよばれていて、
また、相手の心の病に応じた法をお説きになられた事から、病に応じて薬を与えると書く。
応病与薬とお釈迦さまのご説法はよばれている。

お釈迦さまがお説きになられた佛教の目的は“佛に成る”という一つであっても、
その目的に至る道は人の数だけ存在するだ。

だからこれだけの宗派に分かれているのも納得なのである。

合掌・・・

Dst・・・18.25  Av・・・13.5   スペシャライズド・シラス