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たくさん読んでも無駄である。

 言葉と言うものは書き言葉と話し言葉に分類もされる。ネット環境が成熟しつつある世界には言葉(文字)で溢れているのだけれども、その言葉がすべて有用かと言えばそうでもない。確かに情報は誰しも早く正確に手には入れたい。手に入れた情報も数日、数か月と経つと忘却の彼方へと向かうのである。電車内での手持無沙汰をスマートフォンを見て過ごしたり、飲食店で提供までの時間を潰してみたり、はたしてその情報は(言葉)は本当に必要なのか? 著者の前田氏はこうも述べている。もともと人は書き言葉ではなく話言葉で魂のやりとりをしていたと・・・文字という人にとってのいわゆる道具が発明されて以来、その文字を学ぶことで他人よりも優位に立ちたいとか、博識ぶったりする学者が現れた。私自身を振り返ってみても、それほど読書量は多くはないけど、過去に読んだ本が本棚に並んでいる。自分はこれだけ本を読んでいて多くの事を学んでいますよ!的なアピールはさして意味はないのである。それに過去に読んだ本は自分という物体を一時的に通っては見たものの、時が経つと「どんな内容だったけ?」ほど素通りしている現実がある。しかし、本の中には古典を始めとする確かに名著と呼ばれるものもある。その名著は各々において別々だけれども、そんな本に出会った時は何度も読み返し噛みしめて愛読することを著者は進める。そして読書というものは畢竟、人として生きる上において大切な仁愛を根底に持たなくてはなんの意味ももたないのかもしれない。いやそこを目的地にすると読み方も変わってくるのかも知れない。
 今月1冊目の本を読み終えた。「愛読の方法」前田英樹・著 ちくま新書 ~この本は大まかに言って、ふたつのことを書いている。ひとつは、文字に書かれたものを軽々しく信じるまい、ということであり、もうひとつは、書かれたものへ軽信から私達が常に免れているための手立ては、優れた本を愛読するしかない、ということである~帯からの引用。
 自転車に乗っていて色々な道を走るのはとても楽しい。この角を曲がるとこんな道があったのか?と新発見もまたしかりだ。しかし気に入ったコースを何度も駈けるのもまた楽しい。つまりコースを愛読するのである。私にも最近、そんな愛読すべきコースが出来た。そのコースは何度走っても新鮮で幸福な気持ちを私に与えてくれる。読書の仕方もそれと一緒なのかもしれない。個人的には同じ作家の本はなるべく読まず書店でも読んだことのない新しい出会いを求めている自分がある。しかしそろそろ気に入った本を噛みしめ味わうように愛読するという読書の仕方を学ぶのも良いと思うのだった・・・・

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