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おそらく原風景

 こんにちはです。現在連載中の小説は次の展開が思い浮かばず、今回は一時休憩とさせて頂きます。で・・・今まで連ねてきたものをまとめて記事にしようかと今日は思います。

 田上ノズルは50歳手前で背丈のある男である。ノズルの前半生は人と比べるならば少しばかり奇異といえるかもしれない。多くの若者がそうであるように「若気の至り」という時代があった。勉強はいくらかは出来たがお調子者でいて、人気者ではなかった。友達も多くは居らず、どちらかというとクラスの隅に居るような言えばマニアックな友人が数人いただけだ。それなりに勉強もしていたので高校受験はさほど苦労もせずに第一志望の学校へと入学することが出来た。ここまで書くと、高校でも部活動には所属せずに帰宅部で家に帰るとマンガとゲームに陶酔したと想像されるかもしれないが、意外にもあるきっかけでブラスバンド部に入部したのだ。つまり青春を謳歌していた。高校3年の春、好きだった同じ部活のトランぺッターに告白し見事にフラれ、そろそろ卒業してからの進路に悩み始めた頃、何を見誤ったのか、「音楽の専門の学校へ行くと!」と大きく宣言してしまった。当時の担任は「音楽では飯は食えないからヤメておけ・・・」とやんわりと進路変更を勧めたのだが・・・

 よく晴れた4月のある日、入学式を終えたノズルはカリオンの前で同級生達と一緒にスタートしたばかりの学生生活を待っていた。色々な楽器の研究室の上級生がプラカードを持って新入生をつれて部室というか研究室へと先導している。すると向こうから決して笑ってはいない、むしろ怖い顔をして2年生の玉井と柳元がノズル達に近づく。「全員揃ったか。これから研究室へと案内する。ついてくるように・・・」トロンボーン研究室は3号館という建物の地下一階にある。地下一階には他にも木管楽器や金管楽器の研究室が並んでいた。鉄製の扉を開けて中に入るとカーテンを閉め切ってタバコの煙が充満している決して明るい雰囲気の場所ではない所にソファーとテーブルがあり、一番奥のソファーには恐らく4年生であろう方々が怖い顔と雰囲気でどっかりと座っていた。「じゃー一人ずつ自己紹介をしてもらう」「まず2年生が手本を見せるからな」 「長野県出身~! 諏訪南高等学校卒業! 玉井光太郎!よろしくお願いしま~す!」 と体が反り返るほどの大声で手本を見せてくれた。「よし!右の背の高いお前から!」 ノズルの緊張はMAXに達していたがもうやらないという選択肢はない。「山口県出身・・・植野高等学校・・・」「声が小せえ!もう一度初めから!」両側に座っていた3年生から喝が入る。今出る最大級の声で「山口県出身! 植野高等学校卒業!田上ノズルです。よろしくお願いしま~す!」「よし!次!」
 一年生5人の自己紹介が終わったところで、突然奥のカーテンが開き、両側に座っていた上級生が一斉に立ち上がり、持っていたクラッカーを鳴らした。ノズル達は一瞬何が起きたのかわからなかったが、今まで隠していた最大級の笑顔で「入学、おめでとう~!!!」と場の雰囲気は一変したのだ。どうやら最初の怖い雰囲気はわざとでサプライズだったのだ。これからの学生生活が明るく照らされていくようだった・・・・

 「ノズル~次、Bオケだよ。一度合わせておこうよ」 1年生の紅一点、立野 桐が声をかけた。入学から半年が経ち、背丈の高さからという安易な理由でノズルはバストロンボーンを吹いていた。3・4年生のオーケストラの授業がAオケと呼ばれ、1・2年生のそれはBオケとなる。この時期の課題曲はブラームスの交響曲1番だ。この交響曲、4楽章にトロンボーンのコラールがある。この楽器の特徴に二つのものがあって、一つは純正律が奏でられるということ。三和音、例えばドミソと鳴らす時にピアノを使って鳴らすと平均律になる。ドミソのミの音を若干低く音程をとると和音の響きが格段によくなる。楽器の構造がスライドで音程をとるトロンボーンはそういった微調整が出来てしまうのだ。さらに音域が人の声に最も近いので、その二つの特徴から合唱のバックで和音を鳴らすことが得意なのだ。
 「キリちゃん、ちょっと待って・・・ウォーミングアップがもう少しなんだ。」「わかったよ。先にスタジオ行っとくね」 このキリちゃんと呼ばれる立野は群馬県出身で良くも悪くもズバズバと物を言う、サバサバとした性格だ。そろそろ同級生の性格もわかってきて、一緒に行動することも多い。スケールをロングトーンした後、リップスラーで唇をほぐす。日によって調子の良し悪しはあるけれどこのルーティーンは高校時代から変えていない。「そろそろ、行くか」
 3号館の地下一階にある研究室から上階にあるオーケストラスタジオに向かう。廊下では様々な楽器の専攻生が各々に音出しをしていた。スタジオの大きな扉を開くと弦楽器の方々が無秩序に音出しをしている。トロンボーンが坐するのは雛壇の上の方の指揮者に向かって左側だ。しばらくすると今日指揮を振る教授が入ってこられ指揮台にたった。それと同時くらいにあちこちで鳴っていた音や止み、オーボエがAの音を伸ばす。それを頼りにチューニングが始まる。適当な時にそれは終わり、指揮者が指揮棒で譜面台を三度、コンコンコンと鳴らし、「じゃー頭から行ってみよう!」と交響曲は流れ始める

 多摩音楽大学は都心から私鉄で1時間半ほどの広々とした平野にある。もはやここは大東京ではないのではないだろうかというほどのんびりとした雰囲気の中だ。ノズルの住んでいるアパートはその大学から徒歩で5分ほどの家賃4万2千円の1Kで実家からの仕送りとチャンポン店での短時間のアルバイトで生活していた。学校から近いので学生のたまり場になりそうなものだけれど、ノズルの社交性のなさから立ち寄る人もそれほど多くはなかった。そのノズルの住処が俄かに騒々しくなったのはイチョウの葉も色づく学園祭、音楽大学では芸術祭が開催される秋の事だった。4年生に在校していた広島出身の米満さんの影響で祭りに出店する飲食屋台でお好み焼きとイモフライを提供することになったのだ。入学時にはサプライズ的に怖かったのかと思っていた先輩の存在は厳しい上下関係のもとにあって、その鶴の一声で学校に近いノズルのアパートで試食会が行われることになった。
 授業と練習が終わった夜の初めの頃、研究室の面々がノズルのアパートに集まってきた。1Kの部屋に16人ほどが入ったものだから、ただでさえ狭い部屋はむせかえっている。もちろん会の初めは乾杯からスタートして、そのうち1年生がお好み焼きの具材のキャベツを切りそろえた。そして小さなホットプレートで米満さんの指導のもと一人一人焼きの練習をする。「お好み焼きってのはな、貧乏人の食い物だから、そんなに肉を入れたらダメなんじゃ。客に気がつかれない程度に絞らんといけん・・・」と米満が説教をした。「ハイっ!わかりました。」なんて言っていたが、(なんだかケチ臭いな)なんてノズルは思った。この米満さん、ジャズ畑を歩く人で、なかなかに破天荒な性格で、面白い逸話が一つ二つあった。そのうち一つが「平和記念式典タリラリラ事件」だ。広島で毎年8月6日の原爆の日に開催される記念式典で演奏の為に集められた市内近郊の吹奏楽部の一人だった米満は、本来静かな雰囲気の時間にウォーミングアップのリップトリルを響かせてしまったという、なんとも破天荒な高校生だ。
 そうして一つ二つとお好み焼きを焼いていると、「ノズル!イモ洗うとこがないからココで洗うぞ!」と2年生の玉井さんが言っている。(ココって?風呂の浴槽だぞ・・・)と内心ノズルは思ったが逆らえるものでもなく、「ハイっ・・・」と口ごもった。そんな騒々しくも夜が更けていき、酒も入っているものだから、かなりの大声で皆しゃべ散らかしていた。すると近所の家から「てめぇーら何時だと思ってんだ!!!」と怒号が暗がりのサッシから突き刺してきて、皆一応に反省し、ボリュームを落としたのだった。
 その試食会が功を奏したかどうかはわからないが、芸術祭のトロンボーン研究室の屋台はかなりの勢いで繁盛したのだった。

 夏。全国の中学、高校の吹奏楽部はコンクールに向けて青春の炎をメラメラと燃やしている。県大会で金賞ととり、さらに代表権をとると支部大会へと進むことが出来、その支部大会で代表権をとると、吹奏楽の甲子園と言われている東京の普門館での演奏を許されるのだ。
 ノズル達、音大生のアルバイトと言えば、音楽にはまったく関係のない仕事もあるけれど、中学や高校の吹奏楽部のトレーナーとして呼ばれることも少なくない。2年生になったノズルも地元の高校へと招聘された。
 「じぁーBの4小節前からこのテンポでやってみよう~」メトロノームを適当に合わせて鳴らし、学生達の音に耳を澄ます。(うーん、セカンドの彼女、タンギングが不明瞭だな。)コンコンと机を鳴らし、音を止めて、「もう少しだけハッキリとタンギングしてみようか。」「それとアインザッツを揃えてね」「じぁーもう一度」 「はいっ!」と学生達が元気よく返事をする。学生達はこの先生がどんな風にどんな音色を出すかとても興味があるので、基本的には自分も音出しをして指導する。注目されてもいるし少し緊張する瞬間でもあった。
 「田上くん、どう?まとまってきた?」顧問の松木先生が尋ねる。「そうですね。全体的にミスも少なくなってきたし、音もよく出てます。あとは一部不明瞭なアタックとコラールの音程ですね。」「そうか・・・よろしく頼むね」「あっ・・あと30分後に合奏するから」「わかりました」
 高校にトレーナーとして呼ばれた音大生の中にはノズルと違う学校から来ている人もいる。クラリネットの講師の小野田喜美はノズルとは出身高校が違うし、通っている音大も違う。指導の合間にノズルが自分の練習を屋外でしていたら、彼女が話しかけてきた。「田上さん、それ誰の作曲?」いきなり話しかけられて少し戸惑ったノズルは演奏を止め、「ザクセという人のコンチェルティーノだよ」 「いきなり話しかけてごめんなさいね。私、クラリネットの講師で来ている、小野田です。高校は田上さんの出身の近くなんだよね」「あっ・・・観音寺高校かな」「そう!あたり。田上さんは植野高校だよね!」小野田がこれ以上ないほどの笑顔で答えた。これが後にノズルの初めての彼女となる人との出会いの瞬間だったのだ・・・つづく。


 今日は午後から所用があったので軽めにポタリングすることにした。 西へ向かう。 まずは美味しい珈琲を飲もうと広島市佐伯区楽々園にある「珈琲屋」さんへ。以前も記事に載せたが、ここの珈琲は絶品だと思う。マスターは若く、歳で言えば私と同い年くらいかもう少し若いかという感じ。店員の女性もご年配の方だが、とても上品。私はサイクルジャージという出で立ちのせいもあり、ほんの少しだけ羞恥が走る。「いやそれにしても美味しい・・・」
 珈琲を飲んだ後、自転車を西へと走らせると、やがて世界遺産・厳島の玄関口、宮島口に近づく。最近、島へと渡るフェリーターミナルが新しくなり、その名を(エット)という。エットとは広島の方言で(たくさん)という意味になる。「えっと食べんさいね~」と言った具合だ。しかしココもコロナの影響で閑古鳥が鳴いている。私自身もそのエットに立ち寄って中に入ることに躊躇した。もう少しコロナが落ち着いたら撮影も兼ねて再訪しようと思う。
 さて、さらに西へと向かう。やがて広島カープの室内練習場を少し過ぎたあたりから左手に海が見える。水面にはカモメの一種が浮遊していた。後調べによるとどうやらセグロカモメではないかと・・・やはり双眼鏡が欲しくなった。そんなのんびりとした海とは対象的に道路は厳しい。すれすれを大型車が抜かしていく。
 広島県廿日市市梅原にある梅原漁港から眺める、蛭ヶ崎鼻。 ここが今日の一枚だ。 以前初めてここに来た時は(めいがさきばな)と誤読していた。正しくは(ひるがさきばな)らしい。ずいぶん昔から風景が変わっていないのだろうと思うほどの雰囲気がある。この小さな岬の近くには大型遊具を揃えた(小田島公園)がある。現在は呼び名が変わって、やまだ屋もみじファミリーパークとなっている。

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走行距離・・・38.68km   最大心拍数・・・129



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